<総落札額>
約210憶800万円
(約1億9,610万ドル)
総落札点数 2,371点
<レコード>
「The little Star Dweller」
2006年アクリル227.3×181.3㎝
約3億4,900万円
クリスティーズNY2015年11月9日
奈良美智(1959-)は、1989年以来、欧米での個展を多く行っているが、最初に平均落札額を大きく伸ばしたのは2005年である。村上隆が企画した「リトルボーイ」展(2005年、NYジャパン・ソサエティ)の影響力の強さが感じられる。
・調査方法:対象は、2007年以降の日本のオークションで1,000万円以上で作品が落札されている作家、05年以降のクリスティーズ香港および08年以降のサザビーズ香港で5万香港ドル以上で作品が落札されている作家とした。「ArtPrice」で公開されているデータを使用し、各作家の00~19年の総落札額と最高落札額を集計。上位50名をランキング形式で表記した。
・総落札額はArtPriceSで表示されるドルの数値に従い、日本円への換算レートは2000~18年の各年の終値の平均値107.13円を用いた。一方、各ロットの落札価格の日本円換算は、セールが行われた年の終値(ただし19年のものは、18年の終値)を用い、順位はドルでの数値に従った。なお、各年の終値は以下の通り。
00年=114.27円、01年=131.63円、02年=118.74円、03年=107.33円、04年=102.45円、05年=117.92円、06年=119.01円、07年=111.49円、08年=90.60円、09年=92.90円、10年=81.15円、11年=76.94円、12年=86.74円、13年=105.30円、14年=119.68円、15年=120.30円、16年=116.87円、17年=112.67円、18年=109.56円。
・図版は作家の最近の落札作品。
・特に明記のない場合、支持体はキャンバス。
月刊アートコレクターズ2019年5月号No.122「世界のオークション!日本人作家の総落札額ランキングTOP50」より
奈良 美智(なら よしとも)
<1959年>
青森県弘前市に生まれる。
<1978年>
青森県立弘前高等学校卒業後、上京。
<1981年>
愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻に入学。1987年、同大学大学院修士課程修了後、
<1988年>
ドイツに渡り、国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに入学する。在学中はミヒャエル・ブーテやA.R.ペンクのクラスに属す。
<1994年>
アカデミー終了後、ケルンに移り住む。2000年の帰国まで続くケルン時代は多作な時期で、代表的な奈良のイメージとして知られる挑戦的な眼差しの子どもの絵もこの頃頻繁にかれた。また、この間、日本やヨーロッパでの個展の機会が増え、しだいにその活動に注目が集まる。
<2000年>
12年間におよぶドイツでの生活に終止符を打ち、帰国。翌年、新作の絵画やドローイング、立体作品による国内初の本格的な個展「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」が横浜美術館を皮切りに国内5ヵ所を巡回した。いずれの会場でも驚異的な入場者数を記録し、美術界の話題をさらった。特に作家の出身地である弘前市の吉井酒造煉瓦倉庫で行われた同展は、延べ4600名にのぼるボランティアにより運営されたもので、市民の主体的な関わりと参画の規模の大きさにおいて、展覧会の歴史上画期的なものとなった。
<2003年>
クリーブランド現代美術館など米国内5ヵ所で1997年以後の作品による個展「Nothing Ever Happens」が開催される。この頃に出会った大阪のクリエイティブ・ユニットgrafとの協働により、廃材を用いた小屋を中心に展示空間を構成するインスタレーション的な性格の強い作品が増え始める。2006年に青森県弘前市の吉井酒造煉瓦倉庫で開催された「A to Z」展は、そのシリーズの集大成といえるもので、大小約30軒の小屋の内外に奈良自身や彼と交遊のあるアーティストたちの作品を点在させた会場は、さながら一つの街並みのような様相を呈した。
<2010年>
2010年から翌年にかけて、ニューヨークのアジア・ソサエティ美術館で行われた大規模な個展「Nobody’s Fool」も好評を得、同館での過去最多の入場者数を記録した。2010年に奈良は、米文化に貢献した外国出身者をたたえるニューヨーク国際センター賞を受賞。
その他、東京都現代美術館、ニューヨーク近代美術館(アメリカ)など、国内外の多くの美術館に作品が収蔵されている。